言葉に救われる
突然ですが、みなさんは
「言葉に救われた」という経験はありますか?
昨日(2月19日)再放送された、NHKの福祉系番組toi-toiを見ました。
とてもおすすめの番組で、その回ごとに毎回新しい問いが立てられ、それについて、さまざまな立場のゲストやスタジオトークが繰り広げられます。
昨日の番組の問いかけ人は、三浦アークさん。私も以前、『「ハーフ」ってなんだろう?』(平凡社、2021年)という書籍の中でインタビューをさせていただいたことがあります。
そんなアークさんの問いかけは、アークさんの問いかけは
「言葉に救われるのってなんでだろう?」でした。
みなさんはどう思いますか?
(このニュースレターにはコメント欄もありますので、もしよかったらご利用ください!)
日記に書かれている他者としてのかつての自分の言葉
アークさんは番組の中で、かつて中学校の時にいじめを受けていた際に日記に書いた言葉に救われたというエピソードを語っていました。それは以下のような一文でした。
If I could be invisible for just one day, invisible for just one day
Then I would draw crap on that idiot’s face, would have all the space(もし1日だけ透明になれたら 1日でいいからあのガキの顔に落書きをできる自由もある)
アークさんはこの中学校の時につづった日記をもとに、「Invisible」という曲を作りました。このとってもすばらしい曲はYoutubeでも聴くことができるので、ぜひチェックしてみてください。
番組の中では、日記に関する専門家の先生が登場します。
その際に、日記に書かれている言葉は他者の言葉。でも他者であっても自分とは無関係の他者なのではなく、それは「過去の自分自身」でもあり、それは自分と繋がりのある他者の言葉なんだというような解説をしていました。
過去に書かれた自分の気持ちに向き合うことは、その時の気持ちや経験とも向き合うことになる。
そういった説明がとても興味深かったです。
昨日発した言葉でさえも、もう他者の言葉になる。しかし、他者としての自分と、「いまここ」にいる自分自身とをつなぐ役割を果たすのもまた、その言葉である。
私自身もかつて、自分の書いたものに救われた経験がありました。
それは、自分の書籍『「混血」と「日本人」』の元になった修士論文でした。修士論文を執筆した時に先生に、「こういう長い文章を時間をかけて執筆するのはすごく大変だけど、これはまずなによりも、自分のために書いてほしい。」と言われたことを今でも覚えています。
自分の中にある他者。それを日記に書かれた自分自身の言葉によって知る。
この番組を見ながら私も、久しぶりに日記を書いてみようと思いました。
「沈黙」という言葉
番組の中では、スタジオのみなさんのそれぞれの経験から、「言葉によって救われた経験」が語られていました。
そのなかで、「沈黙も言葉だよね」というメッセージが語られました。
その時僕は、質的調査法としてのインタビューにおいても、「沈黙の語り」というものがあったことを思いだしていました。
インタビューを自分の生業の一つにしている私は、いままでたくさんの人々の人生のお話しを聞いてきました。そのインタビューの中では、多くの「沈黙」の時間ももちろんありました。
インタビューの調査法の中にも、いかに「沈黙」を聴くのか、というものがあります。
インタビューをしていて、相手がもし何も言わなくなってしまった場合、こちらは何かを聞き出す側でもあるので、すごく戸惑うし、「大丈夫ですか?」を無理やり沈黙を破って何かを聞き出そうとしてしまうかもしれない。でも、インタビューの方法論の中では、「沈黙を沈黙のまま受け止め、それを記述する」といったようなことが書かれていました。
・・・・(少しばかりの沈黙)。
そう。沈黙も言葉なのです。そうやって発せられる言葉がある。
そして、沈黙を耳にした時に、どうやってそれを聞くのか。
もし、相手が沈黙してしまった場合、こちらは相手を気遣って、何か言ってあげなきゃ、場をもたせなきゃ、といろいろ焦ることもあるかもしれません。でも。
その場に、ただ一緒に佇むこと、その瞬間をただ一緒にすごすこと。
そうやって、私たちは沈黙に対して返事をすることもできるのかもしれません。
「救われたいからだよ」
また、番組の中でアークさんがお友達と会話をするシーンがあります。
アークさんが「言葉に救われるってなんでだと思う?」とそのお友達に聞くと、
「(それはあなたが)救われたいからだよ」
という返事が返ってきました。
救われたい、だから、言葉に救われる。その言葉に「そうだね」と納得しているアークさんの姿も印象的でした。
アークさんが問いかけ人となったこの回は、2月26(日)の20:29までNHK ONEで視聴することができます。また2月22日(日)0:00~0:30にはふたたび再放送もされるそうです!
(※土曜深夜・ミラノ・コルティナオリンピック2026の放送スケジュールにより、再放送が休止になる場合があるそうです。)
もし気になる方で、テレビを視聴できる環境にある方はぜひご覧になってみてください!
映画制作のためのクラウドファンディングスタート!
そして!
なんと、そのアークさんが監督・主演をつとめる作品「アークによる桂子」が公開予定となっています!映画制作には多くの費用がかかりますが、アークさんは現在そのためのクラウドファンディングを実施しています。詳細は以下のサイトからご覧ください。ぜひ多くの皆さんに応援・ご支援いただき、プロジェクトが成功することを願っています!
映画『アークによる桂子』は、1967年に出版されたクラーク桂子さん(書籍出版時は小関桂子)という、米兵と日本人の間に生まれた女性による書籍『日本人桂子-とある混血少女の手記-』を読みながら、私自身の過去、アイデンティティ、居場所、そして外見で自分を判断される、いわゆる「見られる」瞬間が多い私生活で、「見つめられる」ということはどういうことなのか、向き合っていく映画です。
私の母親のルーツもそうですが、戦後直後の日本社会では、日本の女性と米軍関係者との間に「混血児」と呼ばれた人々が多くうまれました。
しかし、かれらはメディアや企業の戦略の中で華々しく消費される一方で、その人生の経験そのものやアイデンティにかんする語りは長い間、歴史の中で「ないもの」とされてきました。
そういった社会的状況の中で、私は、「多様なルーツの人々をこれからどうやって受け入れていく?」とたびたび聞かれる発言にいつも違和感を抱えていました。
なぜなら、もうすでに「ずっとここにいるから」です。
存在している人々を、あたかも「ないもの」として扱うこの社会。
そういった社会的状況の中で、アークさんが桂子さんと出会い向き合っていく、そしてアークさんが自分自身とも向き合っていくこの長編映画は本当に意義深いものだと思っています。
アークさん自身や映画については「POLYGLOTS」というサイトでインタビュー記事が公開されているので、ぜひこちらもご覧ください。
今回は、アークさんが出演しているテレビ番組を見て考えたこと。そして映画制作のクラウドファンディングについて紹介してみました!
みなさん、季節の変わり目&花粉もだいぶとんでいますが、、ぜひぜひお身体ご自愛ください。
今後も随時、ニュースや時事問題、気になるトピックなどについての記事を配信してきます。
このニュースレターの配信に興味がある方で、まだ未登録の方はぜひ以下のボタンから登録をお願いいたします。メールアドレスのみで無料の登録が可能です。
また、もし今後の配信の応援・支援をしてくださる方はサポートメンバーへの登録も大歓迎です!
すでに登録済みの方は こちら


